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東京地方裁判所 平成10年(ワ)14754号 判決 2000年6月07日

原告

立知己

被告

小林準

ほか二名

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して金六七八万七九三一円及びこれに対する平成七年一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを六分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、連帯して金四一〇一万七四七三円及びこれに対する平成七年一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、信号機の設置された交差点において、歩行者用の信号機が赤信号であるのに横断歩道を横断していた者に、青信号に従って走行してきた自動二輪車が衝突し、右の歩行者が右下腿切断の負傷をした交通事故について、この負傷をした歩行者が、自動車二輪車の運転者とその母親に対しては、いずれも民法七〇九条に基づき、自動二輪車の所有者に対しては、自動車損害賠償保障法(自賠法)三条に基づき、損害賠償金の支払を求めた事案である。

一  前提となる事実

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した(争いがない)。

(一) 発生日時 平成七年一月六日午前一時一五分ころ

(二) 事故現場 東京都中央区日本橋人形町二―三先の信号機より交通整理の行われている交差点(以下「本件交差点」という。)

(三) 事故車両 被告小林準(以下「被告準」という。)が運転していた自動二輪車(品川ぬ三七二八、以下「本件二輪車」という。)

(四) 負傷者 原告

(五) 事故態様 本件交差点内の横断歩道上を、歩行者用信号が赤色であるのに原告が横断していたところ、走行してきた本件二輪車と衝突した。

2  本件車両の所有関係

被告佐藤榮祐(以下「被告佐藤」という。)は、本件事故当時、本件二輪車を所有していた(争いがない)。

3  損害のてん補

原告は、自動車損害賠償責任保険から一五七四万〇〇〇〇円、健康保険組合から健康保険傷病手当金として一六万八二六八円の支払を受けた(争いがない)。

4  原告の治療経過及び後遺障害の認定

(一) 治療経過

原告は、本件事故により、右下腿切断の傷害を負い、次の各病院に入院して治療を受けた(甲三、一二、一三の1・2、二九)。

(1) 日本医科大学付属病院

平成七年一月六日から同年一月一〇日(合計五日)

(2) 医療法人社団ますみ会亀有大同病院

平成七年一月一〇日から同年四月三日(合計八四日)

(3) 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院

平成七年四月一八日から同年八月三一日(合計一三六日)

(二) 後遺障害の認定

原告は、右の治療中の平成七年二月八日に症状が固定し、自動車保険料率算定会において、右下腿の切断が自賠法施行令二条別表の後遺障害等級第五級五号の「一下肢を足関節以上で失ったもの」に該当する旨の認定を受けた(弁論の全趣旨)。

二  争点

1  被告らの責任原因及び過失相殺

(一) 本件事故の態様及び被告準の責任原因

(1) 原告の主張

原告は、平成七年一月六日午前一時一五分ころ、本件交差点内の南側横断歩道上を、歩行者用の信号は赤色を表示していたが、東京都中央区日本橋人形町一丁目一六番先(南西方向)から同町二丁目三番先(北東方向)へ向かって横断していた。被告準は、本件二輪車を運転して、箱崎町方面(東南方向)から小伝馬町方面(北西方向)に向かって、制限速度である時速四〇キロメートルを超える時速一〇〇キロメートルかそれ以上の速度で進行し、道路脇にいた友人らに気を取られて前方注視を欠いたまま漫然と本件交差点に進入しようとした過失により、本件二輪車の前部を原告に衝突させた。

したがって、被告準は、民法七〇九条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任がある。

(2) 被告らの認否、反論

原告が、原告主張の日時、場所を横断していたこと、その際、歩行者用の信号が赤色を表示していたこと、被告準が、本件二輪車を運転して原告主張の方向から走行してきて本件交差点に進入しようとしたこと、原告と本件二輪車が衝突したことは認め、その余の事実は否認する。

原告は、本件事故当時飲酒して酩酊しており、また、被告準は、時速約一〇〇キロメートル以上の速度で走行していなかった(せいぜい時速六〇キロメートルから七〇キロメートルであった。但し、これは被告佐藤のみが主張している。)。被告準が、本件二輪車で走行してきた道路は、両側に歩道のある五車線(以下、被告準の進行方向左側[南西側]から順に「第一車線」ないし「第五車線」という。)の一方通行道路であり、被告準は、第四車線を走行し、第一車線及び第五車線には駐車車両が存在し、第二車線及び第三車線を走行する車両も存在した。原告は、歩行者用信号が赤色を表示していたにも関わらず、酩酊して左側(南西側)から車両の間を縫うようにして飛び出してきたもので、被告準は、このような行動をする者がいることを予見することはできなかったし、左前方を走行する車両の陰になって原告を発見することができす、これを避けることができなかった。

したがって、被告準には、過失はないから、民法七〇九条に基づく責任は負わない。

(二) 被告小林政子の責任原因

(1) 原告の主張

被告小林政子(以下「被告政子」という。)の責任原因

被告政子は、被告準の母であり、本件事故当時、未成年であった被告準と同居していたのであるから、日頃から、被告小林準を十分監督し、交通法規を遵守するように教育する注意義務があった。ところが、被告政子は、これを怠り、被告準を放任したため、被告準が無謀な運転を行って本件事故を発生させたのであるから、民法七〇九条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任がある。

(2) 被告政子の反論

(一)(2)のとおり、被告準には過失がないから、被告政子にも過失はなく、民法七〇九条に基づく責任を負わない。

(三) 被告佐藤の責任原因

(1) 原告の主張

被告佐藤は、本件二輪車を所有し、被告準に対して一時的にこれを貸与したにすぎないから、それに対する運行支配は失われず、本件二輪車を自己のためその運行の用に供していたということができる。

したがって、自賠法三条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任がある。

(2) 被告佐藤の反論

被告佐藤は昭和五三年二月一三日生まれで、本件事故当時一六歳であり、被告準は中学の一年先輩であった。被告佐藤は、中学生のころから使い走りを命じられたり、いじめに遭ったりする弱いタイプの子であったが、他方、被告準は体格が良く、高校を中退した後は、窃盗や恐喝により少年鑑別所や少年院に入ったことがあり、被告佐藤は、被告準を怖い先輩と思っていた。そして、被告佐藤は、本件事故直前、被告準から路上で「バイクを貸してくれ。」と申し向けられ、これを断りたかったが、断れば必ず殴られたり、仕返しをされたりして怖くて断れず、本件二輪車を貸したのである。

したがって、被告佐藤は、本件二輪車を貸与した時点でその運行支配を失ったといえるから、これを自己のためその運行の用に供していたとは認められず、自賠法三条に基づく責任を負わない。

仮に、自賠法三条に基づく責任を負うとしても、原告は、泥酔した上に、歩行者用信号の赤色表示を無視して交通量の激しい幹線道路へ飛び出し横断した原告の過失は大きく、その過失割合は九〇パーセント以上である。

2  原告の損害(当事者の主張は、後記の判断中に記載したとおりである。)

第三争点に対する判断

一  被告らの責任原因及び過失相殺(争点1)

1  本件事故の態様

(一) 認定事実

前提となる事実、証拠(甲二、五ないし一〇、一七ないし二一、二七、丙一ないし四[但し丙一は一部]、六ないし一一、被告準本人[一部])及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 事故現場である本件交差点は、箱崎町方面(南東方向)から小伝馬町方面(北西方向)に走る通称水天宮通りと、小舟町方面(南西方向)と清洲橋通り方面(北東方向)とを結ぶ道路が交差する、通行頻繁な市街地の信号機による交通整理の行われている交差点である。水天宮通りは、小伝馬町方面(北西方向)への一方通行となっている車道幅員一四・九五メートルの五車線の道路であり、その両側に幅員六・一メートルの歩道が設置されている。本件交差点の四方の出入口には横断歩道が設置されており、いずれにも歩行者用信号が設置されている。南出入口の横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)の幅員は四・三メートルで、その南側二・三メートルの地点に停止線が引かれており、以上の概況は、別紙交通事故現場図のとおりである。

水天宮通りは最高速度が時速四〇キロメートルに制限されており、駐車禁止規制がなされている。事故現場付近の前方(北西方向)左右の見通しは良い。

(2) 原告は、平成七年一月五日午後八時ころから勤務先の部下らと飲食をし、ビール大瓶三本ほど飲酒した後、スナックでウィスキーを水割で六、七杯飲酒した。さらに、本件交差点の北角付近のラーメン屋でビールをコップ二、三杯飲んだ後、同月六日午前一時ころ店を出た。原告は、いったん水天宮通りを北東側から南西側に横断したが、部下が、帰宅するためのタクシーを右のラーメン屋付近で停止させたため、歩行者用の信号が赤色を表示していたのに、本件横断歩道をゆっくりと再び北東側へ、北寄りに斜めに横断し始めた。原告が第三車線から第四車線に差し掛かるころ、第四車線を走行してきたタクシーが原告に気づいてクラクションを鳴らし第三車線側に回避して走行したが、原告は、そのまま横断を続けた。

(3) 被告準は、本件交差点から約二〇メートルほど箱崎方面寄りの北東側歩道に面して存在する「吉野屋」(以下「本件店舗」という。)前に友人らと集まって本件二輪車(排気量四〇〇CC)を運転し、水天宮通りから付近の交差点を順に左回りに一週してこの店舗前に戻った。さらにもう一周して再び水天宮通りの第三車線に入り、本件交差点のひとつ手前の信号で、赤信号に従って一時停止した。

被告準は、信号表示が青色に変わったので小伝馬町方面(北西方向)に向かって発進し、進路を第四車線に変更して加速し、第三車線の前方を走行していたトラックを追い抜いた。被告準は、本件交差点とひとつ手前の信号表示が連動していることを知っていたため、本件交差点の信号表示は当然青信号であると考えて加速したので、本件車両の速度は時速約一〇〇キロメートル前後まで達した。被告準は、本件店舗手前に差し掛かり、その付近にいた友人らに気を取られた。そのためか、前方のタクシーが原告を回避したことに気がつかず、前方に目を向けた瞬間、本件横断歩道の北東端付近で、他の人が南西側へ横断歩道を横断しようとしているように見えたため、急ブレーキをかけたが間に合わず、第四車線を通過しようとしていた原告に衝突して転倒し、本件車両は、転倒後約八〇メートルほど路上を滑走して北東側歩道と車道との境に設置されたパーキングメーターに衝突した上、さらに約一〇メートルほど路上を滑走して停止した。なお、本件横断歩道上には、八・三六メートルのスリップ痕が残存していた。

(二) 認定事実に反する主張及び証拠の検討

被告佐藤は、被告準が実況見分において指示説明したところの、本件店舗前付近にいた友人らに気を取られた地点と、横断歩道を横断しようとしているように見えた人を認識した地点の距離が一六・三メートルであると指示説明していること(甲二)を前提にした上で、被告準は、友人らに気付いた地点の手前付近まで第三車線のトラックの後方を走行し、これを追抜いたのは友人らに気付いた地点の直前であること、そのトラックの速度は時速三〇キロメートルから四〇キロメートルと推定できることを理由に、友人らに気付いた地点の手前付近では時速三〇キロメートルから四〇キロメートルであったのが、わずか一六メートルほどで時速一〇〇キロメートルまで加速することは不可能であり、本件交差点直前における本件二輪車の速度は、せいぜい六〇キロメートルから七〇キロメートルであると主張する。

確かに、被告準は、本人尋問において、被告準は、友人らに気付いた地点の手前付近まで第三車線のトラックの後方を走行し、これを追い抜いたのが友人らに気付いた地点の直前であるとの趣旨の供述をし、これと同趣旨の証拠(丙一)もあるが、この供述及び書証の内容は、(一)の前掲各証拠に照らして直ちには採用できない。したがって、横断歩道を横断しようとしているように見えた人を認識した地点から一六メートルほど手前の地点において、まだ時速三〇キロメートルから四〇キロメートルほどであったとの前提を用いることはできないから、被告佐藤の主張は採用できない。

その他、被告準本人尋問の結果のうち、(一)の認定に反する部分は直ちに採用できない。

2  被告準の責任原因及び原告の過失相殺

(一) 被告準の責任原因

被告準は、制限速度を遵守し、かつ、前方を注視して走行する注意義務があるのに、本件交差点に接近してきても時速一〇〇キロメートル前後の速度で走行した上、進行方向右前方の友人らに気を取られ、原告を回避したタクシーのクラクションや回避行動、ひいては原告が左方から横断してきたことに気がつくことなく本件二輪車を原告に衝突させた過失がある。

したがって、被告準は、民法七〇九条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任がある。

(二) 原告の過失相殺

原告は、信号表示に従って横断歩道を横断する注意義務があるのに、夜間、五車線の幅員約一五メートルの道路を、歩行者用の信号表示が赤色であるのに酩酊して横断した上、交差道路を青色表示の信号に従って走行してきた車両からクラクションで回避を促されたり、この車両自体が回避行動を取ったにもかかわらず、そのままゆっくり横断を続け、本件事故に遭遇したのであるから、原告にも、重大な過失があるというべきである。

そして、被告準と原告の過失の内容、本件事故の態様を総合すると、過失相殺として、原告の損害額から七〇パーセントの割合に相当する額を控除するのが相当である。

3  被告政子の責任原因

証拠(甲一〇、被告準本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告準は、昭和五一年九月八日生まれの本件事故当時一八歳であり、本件事故当時は被告政子と同居していたこと、本件事故以前に、恐喝やバイクの窃盗により、逮捕されて少年鑑別所に入所したり、家庭裁判所で試験観察や少年院送致の処遇を受けたことがあること、被告準は、本件事故の前年である平成六年三月に、被告政子の援助を受けてバイクを購入したこと、夜間、友人らと本件事故現場付近の公園に集まり、バイクに乗って付近の道路を高速度で走行したりしていたこと、被告政子は、被告準に対し、こうした友人らと交際しないように指導することがあったが、次第に放任するようになり、バイクを取り上げたり、友人らとバイクに乗ることを咎めることはなかったことが認められる。

この認定事実によれば、被告政子は、被告準の年齢、交友関係を含めた日頃の行動、関心などからして、被告準が無謀運転や暴走行為に及ぶおそれが大きいことを容易に認識することができたといえるから、日頃から交通法規を遵守するように指導し、法令違反や危険な運転が繰り返されているようであれば、バイクの運転を禁止するなどの措置を取るべき注意義務があったというべきである。ところが、被告政子は、これを怠り、被告準を放任した結果本件事故を発生せしめたということができる。

したがって、被告政子は、民法七〇九条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任がある。

4  被告佐藤の責任原因

(一) 認定事実

前提となる事実及び証拠(甲五ないし九、被告準本人、被告佐藤本人)によれば、次の事実が認められる。

(1) 被告佐藤は、昭和五三年二月一三日生まれで、被告準の中学校時代の一年後輩であった。被告準とは中学時代にあまり交友関係はなかったが、卒業後、事故現場付近の公園に友人らと集まる際、そこへ来ていた被告準と自然に交友関係ができた。この公園に集まる者は延べ十数人から二〇人ほどいるが、その中で特に序列はなかった。なお、被告佐藤は、被告準の非行歴を知っており、怖い先輩との意識も多少あったが、自分は恐喝されたりしたことはなかった。

(2) 被告佐藤は、友人らと公園に集まる際にバイクに乗ることがあり、バイクを人に貸したり、自らも他人からバイクを借りることもあった。

被告佐藤は、平成七年一月五日午後一一時ころ、自ら所有する本件二輪車に乗って友人宅を訪問したところ、他にも三名の友人が集まっていた。翌六日午前零時三〇分ころに被告準や他の友人も集まり、その後、本件店舗前に集合した。被告佐藤は、本件二輪車のマフラーを交換したばかりであり、まず、自らが本件二輪車に乗車し、水天宮通りから付近の交差点を順に左回りして一周し、本件店舗前に戻った。その後、被告準は、被告佐藤に対し、少しバイクに乗らせて欲しいと頼み、これを借りて本件二輪車に乗車した。

(二) 被告佐藤の運行供用者責任に対する判断

自動車の運行を事実上支配、管理することができ、社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないように監視、監督すべき立場にあるときは、自己のために運行の用に供する者にあたると解すべきである。

そして、被告佐藤は、本件二輪車を所有していたのであるから、その運行を事実上支配、管理することができ、社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないように監視、監督すべき立場にあるというべきである。

もっとも、被告佐藤は、被告準に本件二輪車を貸与したことにつき、本人尋問において、被告準のことを怖い先輩であると多少思っていたとか、あまり貸与したくなかったとの趣旨の供述はしているものの、(一)で認定した事実によれば、恐喝されたとは到底いえず、自己の意思で貸与しており、その際に交通法規を遵守するように伝えたり、無謀運転のおそれがあるときは場合によって貸与しないとの選択をすることもできたのであるから(友人らと集れば、貸与を断りきれなくなることが嫌であれば、そうしたことが予想される場所に赴かないことも可能である。)、本件事故当時も、自動車の運行を事実上支配、管理することができ、社会通念上自動車の運行が社会に害悪をもたらさないように監視、監督すべき立場を失っていないことは明らかである。

したがって、被告佐藤は、自賠法三条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任がある。

二  原告の損害額(争点2)

1  治療費(原告主張額五二万五九七五円) 五二万五九七五円

原告は、日本医科大学付属病院での入院料等として六万〇三五五円、亀有大同病院での診療費等として二五万三四三〇円、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院の入院診療費として二一万二一九〇円の合計五二万五九七五円を支払った(甲一三の1ないし13)。

なお、右は、症状固定後の治療費も含まれるが、下腿の切断という改善不可能な傷害を負ったことから、症状固定時期が早く診断されたものと理解することができ、リハビリは当然必要な治療と考えるのが相当であるから、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院の治療までは本件事故と相当因果関係を認める。

2  入院付添費(原告主張額六四万二一四九円) 六四万二一四九円

原告は、亀有大同病院に入院中の平成七年一月一一日から同年四月三日まで職業付添婦による付添を受け、その賃金と紹介手数料として、合計六四万二一四九円を支払った(甲一四の1ないし14)。

付添婦による付添の必要性は証拠上明らかではないものの、負傷内容とその期間(全入院期間の三分の一強)に照らせば、右の期間については、期間中を通じて付添看護の必要性を認めるのが相当である。

3  入院雑費(主張額二九万一二〇〇円) 二九万一二〇〇円

入院雑費としては、一日あたり一三〇〇円の入院日数二二四日分で二九万一二〇〇円を相当と認める。

4  通院等交通費(主張額九五万七二六〇円) 一七万五一二〇円

原告の妻は、見舞いのため、原告が亀有大同病院に入院中は、千葉県船橋市前原から亀有大同病院までバス、JR電車、京成電鉄及びバスを乗り継ぎ合計六七日で九万六四八〇円(片道合計七二〇円ですべて往復)、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院に入院中は、千葉県船橋市前原から航空公園駅までバス、JR電車、西武鉄道を乗り継ぎ合計二五日で三万六五五〇円(片道合計八五〇円で、うち一八日は往復)、診断書を受領するため、平成七年五月三〇日に日本医科大学付属病院、亀有大同病院などに行き、その交通費として二〇七〇円の合計一三万五一〇〇円を負担した(甲二八の1ないし3、弁論の全趣旨)。

また、原告は、自身も交通費を負担したと主張し、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院から自宅まで平成七年七月二八日から同年八月三一日までの間に合計七日分(うち一日は往復)の交通費として合計六八〇〇円を負担したことを窺わせる証拠がある(甲二八の2)。入院中の原告が、自宅まで、かつ、七日のうち六日は片道分のみ交通費を負担した理由は本件全証拠によっても明らかでないが、右が、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院を退院する日に近接した時期に集中していることに照らすと、入院中に時々自宅での外泊を許可されたものと推認することができるから、右の証拠の内容は不自然とはいえない。したがって、この六八〇〇円も本件事故と相当因果関係を認める。

さらに、原告は、タクシー代も負担したと主張し、大同亀有病院に入院中に三回、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院に入院中に一七回の合計二〇回、誰かがタクシーを利用し、四一万三三六〇円を負担した旨の証拠(甲一五の1ないし7)がある。この間、原告は入院中であるから、原告の妻がタクシーを利用したものと推認されるが(少なくとも、原告が利用したと認めるに足りる証拠はない。)、すでに認定したとおり、原告の妻は、見舞いのために公共交通機関を利用していたのであり、本件全証拠によっても、タクシー利用の必要性を認めるに足りる証拠はないから、先の公共交通機関の料金を参考にし、大同亀有病院の三回については一回あたり一四四〇円の合計四三二〇円、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院の一七回については一回あたり一七〇〇円の合計二万八九〇〇円の限度で本件事故と相当因果関係を認める。

加えて、原告は、装具作成のために妻と四回にわたり自宅から名古屋を往復し、その交通費として一回あたり一〇万〇五〇〇円の四回分で四〇万二〇〇〇円を負担したと主張する。しかし、装具作成のために名古屋まで行く必要性や、その際の交通費の根拠は明らかでなく、これを認めるに足りる証拠もない。したがって、この交通費は認められない。

以上によれば、本件事故と相当関係の認められる原告及び原告の妻の交通費は、一七万五一二〇円となる。

5  装具費(原告主張額二九万四一二〇円) 二九万四一二〇円

原告は、義足等の装具代として、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院に対し二一万三一二〇円、株式会社田沢製作所に対し八万一〇〇〇円をそれぞれ支払った(甲三二、三三)。

6  医師への謝礼、文書料等(原告主張額二四万八〇〇〇円) 八万六八〇〇円

原告は、文書料や医師への謝礼などで合計二四万八〇〇〇円を負担したと主張し、証拠(甲一六の1ないし5)によれば、文書料として合計八万八六〇〇円を支払ったことは認められるものの、それ以上の負担をしたと認めるに足りる証拠はない。

7  休業損害(原告主張額一五一万六九〇六円) 一五一万六九〇六円

当事者間に争いがない。

8  逸失利益(原告主張額八九五〇万九七三〇円) 五六六五万一七二八円

(一) 労働能力喪失率について

証拠(甲一、一一、二二、二三、三一)によれば、原告は、昭和二二年五月一一日生まれで、本件事故当時、三井不動産建設株式会社に勤務し、本件事故の前年である平成六年には年間九〇九万一七七〇円の収入を得ていたこと、原告は、本件事故による負傷で右足の膝から一一センチメートル下より先を失い、義足を使用していること、義足による歩行は二〇分程度に一回休憩を入れる程度にしないと継続して歩行しづらく、義足との接触部分が赤くなったり、足がむれたりする不便があり、仕事上、外回りの予定を変更して内勤に替える不都合も少なくないこと、本件事故当時は、東京支店の第一営業部長として多数の部下を抱えていたが、比重の高かった顧客回りの仕事に支障もあり、平成一〇年七月一日からは東関東支店に勤務して営業部での仕事を継続しているが、部下はいなくなったこと、本件事故に遭遇した平成七年の収入は年間七五六万四七五〇円、翌年の平成八年の収入は年間八五五万〇五一〇円であったことが認められる。

この認定事実によれば、原告の現実の減収は、それほど目立ったものではないが、後遺障害の重大性に照らすと、それは、本人の努力及び勤務する会社の理解に相当程度支えられたものと理解することができる。そして、現実に、本件事故当時と異なり部下のいない立場になっており、中高年のリストラが珍しくない昨今の状況に照らすと、、今後はそうした対象になり得る危険性も考えられないではなく、少なくとも、昇進を含めた処遇において、相当のハンディを背負っていることは否定できないこと、さらに、定年後に再就職を考える場合には相当な困難が予想されることに加え、原告の後遺障害が自賠法施行令二条別表の第五級五号に該当することを併せて考えると、現時点での減収がそれほど目立ったものではないことを考慮しても、原告は、症状固定時である四七歳から六七歳までの二〇年間について、平均して五〇パーセントの労働能力を喪失したものと判断するのが相当である。

原告は、七九パーセントの労働能力を喪失したと主張し、他方、被告らは、平成六年と平成八年の収入格差である五四万一二六〇円の三倍の減収分程度が労働能力の喪失分を反映したものであると主張する(約一八パーセント程度の喪失ということになる。)が、いずれも採用できない。

(二) 逸失利益の算定について

原告の事故前の収入である年間九〇九万一七七〇円を基礎とし、労働能力喪失率を五〇パーセント、ライプニッツ方式により、四七歳から二〇年間にわたる中間利息を控除すると(係数一二・四六二二)、五六六五万一七二八円(一円未満切り捨て)となる。

(計算式)

9,091,770×(1-0.5)×12.4622=56,651,728

9  慰謝料(原告主張額一五四七万八六六六円) 一五四七万〇〇〇〇円

原告の負傷内容、入院治療の経過、残存した後遺障害の内容及び程度など一切の事情を総合すれば、原告の慰謝料としては、一五四七万〇〇〇〇円(入院分二四七万円、後遺障害分一三〇〇万円)を相当と認める。

10  過失相殺及び損害のてん補

1ないし9の損害総額七五六五万三九九八円から、原告の過失割合である七〇パーセントに相当する金額を控除すると、二二六九万六一九九円(一円未満切り捨て)となる。

この金額から、原告が損害のてん補を受けた自賠責保険金及び健康保険傷病手当金の合計額である一五九〇万八二六八円を差し引くと、六七八万七九三一円となる。

第四結論

以上によれば、原告の被告らに対する請求は、不法行為に基づく損害金(ただし、被告佐藤に対しては自賠法三条による。)として六七八万七九三一円と、これに対する不法行為の日である平成七年一月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める限度でいずれも理由がある。

(裁判官 山崎秀尚)

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